「自動運転タクシーが営業走行」のニュースに物申す
自動運転タクシーが営業走行とのニュースが報じられ大きな話題を呼んでいます。
乗客を乗せたタクシーが公道を走行するのは世界初であり、さらに、東京オリンピックが開催される2020年までに特定区間での無人走行を目指すとのことです。
一目このニュースを見たとき、「おースゲー」、「もうタクシードライバーいらなくなるー」、「あと2年で実用化だ!!」など期待の声がネット上でもあふれていました。
しかし、ニュースから受ける印象と実情にはかなりの乖離があるように思います。
そこで、ニュースでは報道されていない、隠れた条件、疑問点についてまとめ、最後に
2020年までに特定区間での無人走行の実現可能性について私見を記載しました。
<隠れた条件について>
ニュースでは報道されていませんが、今回の実証実験では以下の条件が隠されていると推測されます。(上に行くほど、可能性が高いと思っています)
・今回走行したルートは、車通りの少なく、かつ信号以外では人の横断が無いような広い道路でカーブも最小限。要するに人工知能にとって難易度の低い通行路を厳選した。
・天候・運行時間に厳しい制約がある(雨天時は運行できない。日没間近では運行できない等)
・車線変更したとあったが、車線変更のタイミングは人間が指示した。つまり機械には車線変更のタイミングを判断できない
・信号機付近ではほとんど人間が運転。
・通行路付近では、警察などが常に警備し安全を確認。
いずれも推測の域を出ませんが、かなり限定的な条件下での走行であることは間違いないと思います。
本実験が社会的に非常に意義のあることである点については疑いようのないことですが、出来ているところだけを切り取り発表するの姿勢はいただけません。ちゃんと今のレベルではまだここまでですというのをきちんと明示すべきでしょう。(繰り返しになりますが以上は私の推測です。間違っていたらすいません。でも、現在の自動運転の技術を鑑みれば、概ね当たっているだろうと自身をもって言えます。)
<疑問点について>
次に、ニュースをみて、率直に感じた疑問を下記にまとめます。
疑問①:出発地と目的地が決まっており事実上バスと変わらないのに、なぜタクシーと銘打ったのか?
疑問②:そもそももっと難易度の低い地方で実証実験をやらないのか?
東京都心部は一般的に交通量が多く、自動運転を実施するには難易度が高い地域である。そんな地域を選ばずにもっと、難易度の低い地域を選別すればいいのになぜ東京を選んだのか?単純にマスコミ受けがいいからか?
疑問③:なぜ一日4往復しかしないのか?
上記で説明したように相当走行できる条件が限られているのか?
ざっとこんな感じです。他にもいろいろ不思議に思うことはありますが、そこは大人の事情が複雑に絡み立っているのでしょうか。
おそらく、多くの方がこの点に興味があるのではないでしょうか。
オリンピックまでに自動運転は間に合うのか否かについてです。
この点について私見を述べる前に、自動運転のレベルの分類について説明したいと思います。
自動運転のレベルは0(すべて人間が運転)からレベル5(完全自動運転)の6段階に分類されます。このうちレベル3以上を自動運転と呼んでいます。
運転レベルの3~5を簡単にまとめると下記のようになります
レベル3:特定の場所で自動運転。ただし緊急時は人がドライバーが操作
レベル4:特定の場所で完全自動運転(ドライバーなし)
レベル5:すべての場所で完全自動運転(ドライバーなし)
さて、以上を前提として今回のニュースを振り返ってみますと、まず実証実験においては、緊急時に備えてドライバーが乗車しておりかつ場所も限定されていたため、レベル3の自動運転の実証実験といえます。
そして、2020年までに特定区間での無人走行を目指すとありますが、これはレベル4の自動運転を目指すと言い換えることが出来ます。
さて、ではこのレベル4がオリンピックまでに実現するか否かについてですが、結論を申し上げるとかなり条件を限定すれば実現可能性はあるというのが私の考えです。
ではその状況な何かといえば、まず過疎地域で交通及び人の一日中0の区間を自動運転エリアに指定。そして速度は極限まで落とす(時速15キロから20キロくらい?)これくらいストリクトな条件であればぎりぎり実現できるかもしれません。もはや自動車と呼べるかわかりませんが・・・。
以上この辺で。また、新事実が判明次第追記します。
人工知能の能力に合わせて制度をかえる時代
三次AIブームより能力は飛躍的に上昇したと。しかしながら、いざ人工知能を導入しようと思っても、一から十まで完璧に実務上耐えうる制度で業務をこなせることはまれである。あれも出来ないこれも出来ないと考えてしまったり、今の制度ではまだまだ使い物にならないと感じることを多いだろう。
だからと言って「今の技術ではまだ実用には耐えられないと」と考え、導入を見送ってしまうのはあまりにもったいない。現在の技術にあわせて、体制を変える工夫が時には求められているのである。これだけはイメージがわかないと思うのでここで自動運転を例に説明しよう。自動運転技術は人工知能の発展と並行して飛躍的な進歩を遂げており、我が国においても、複数の地域で実証実験が行われており、導入に向けた準備が進められている状況である。自動運転の実現については、期待が大いに先行しているが、はっきり申し上げて現在の技術では日本の都市部をスムーズに走行できるような段階には至っていないし、それには技術の進歩を待たなければならないというのは専門家の一致した意見である。
しかし、ここで導入をあきらめてしまってはもったいない。今の技術でも活用するすべはあるのである。例えば自動走行専用の道路とそうでない道路を分ける、またはエリアで分けるとの考えがある。人間が運転する車や歩行者が混在する道路を走行するとなると、現行不可能と言わざるを得ないがこれが、条件を変えれば急激に難易度が下がり、実現可能性の芽が出てくる。これはあくまで一例であるが、このように今のルール、状況に置き換えることを考えて、実現が難しいケースであっても、人間の方でルール・を変えることにより、人工知能でも可能な状態に落とし込むことが可能になるケースはいくつも存在する。
人工知能の導入にあたっては、技術に合わせて制度を変える工夫が時には求められているのである。
つくば市でブロックチェーン技術を用いた電子投票の実証実験を開始
つくば市が、ブロックチェーン技術を用いた電子投票の実証実験を開始した。
非常に活気的な取組みであり、ネット投票実現に向けた大きな一歩となることは間違いなさそうである。
法的な課題などがあり、国政選挙などのいわゆる公職選挙法による選挙での導入はまだまだ難しいようであるが、今回のような政策コンテストの投票等については適用できるとのこと。
このような事例を積み上げていき、いずれは国政選挙でもネット投票が出来るようなる日が来ることを切に願うばかりである。
ことろで、ブロックチェーンの技術と聞くと仮想通貨と連想する人が多いように思うが、ブロックチェーンは今回の事例のように様々な分野に適用可能であると言われておいる。
行政の業務で考えれば、法務局が行っている登記業務全般、食品の生産地の特定、戸籍業務等はブロックチェーン技術と相性がいいのではと考えている。
ICT技術に関していえば、人口知能が注目浴びている昨今ではあるが、次年度にはブロックチェーンブームが到来しているかもしれない。
さいたま市の人工知能で保育園の入所振り分けのニュースに思う
人工知能と一口に言っても、ディープラーニングから機械学習、ルールベースのものまでその様々であり、それぞれ特徴は大きく異なっている。
しかしながら、それらの違いを明確に意識しない意見があまりに多いように感じてならない。
それが顕著になった例を紹介する。
すこし前の、さいたま市の人工知能で保育園の入所振り分けののニュースである。
(さいたま市が保育園の入所振り分けをAIで瞬時に行ったというもの。)
これは、報道では言及されていなかったが、機械学習ではなく、ルールベースの人工知能と呼ばれるシステムを用いて判定している(そもそもルールベース型は人工知能と呼べないとお考えの方も多くいるが、ここでは便宜上そう呼ぶ)。大雑把に言えば、人間が指示したルールに従って判断を下すというものである。
しかりながら、上記報道には下記のような批判が多く見受けられた。
・人工知能の判断はブラックボックスであり、結果に至るまでに仮定が不明確
・ 結果についての説明責任が果たせない
以上の理由から保育園入所判定業務にAIを用いるのは問題がある
なるほど確かにもっともらしく聞こえる。
しかし、上記はいずれも、ディープラーニングの性質である。本件はあくまで
ルールベースの人工知能であり上記のような問題は発生しない。
明らかにそれらを混合した発言である。
以上のような例は列挙に暇がない。
人工知能と一口で言っても、いくつか種類があるためそれらの違いを明確に意識すべきである。
ただ、これは情報発信する側にも問題があるように思う。
というのも、一律に人工知能と呼称せずに、例えば本件であれば、人工知能(ルールベース型)等というふう表記すればこのような混合は起きない。ところが、不思議なことに人工知能導入に関するニュースのほとんどすべてにおいて、単に人工知能(AI)と表記され、細かい分類まで記されていないのが常である。
(これを発表することにより何か都合の悪いことがあるのかと勘ぐってしまう)
人工知能の定義について議論することは無意味です
「人工知能」の定義について議論することははっきり言って無意味です。
なぜならその時代で定義は変わるからです。
その時代の最新技術を人工知能と呼ぶことが多く、現代は機械学習のうち、ディープラーニングが最新の技術であるのでこれを人工知能と呼ぶ人が多いようす。
因みに、かつてはワープロの漢字変換を人工知能と呼んでいた時代があったが、現在これを人工知能と呼ぶ人はいないでしょう。
要するに、非常に大雑把にいって最新技術を人工知能と呼び、次の技術が出現し既に当たり前となった古い技術はもう人工知能と呼ばれなくなる、そういう歴史を繰り返してきた。したがって、第四次人工知能ブールが訪れ、次の技術が生まれたらディープラーニングは人工知能と呼ばれなくなっていると推測します。
このように、時代時代で定義は変化していくものなので、どこまでを人工知能にふくめるかを議論しても無益かつ時間の無駄である。そんなのは呼び方の問題でありことの本質ではないのです。
知識0から独学で人工知能(AI)のプログラムをマスターする方法
私が実践した、知識0から独学で人工知能(AI)のプログラムの基礎をマスターする方法を説明します。以下の方法を実践していただければ、早ければ2週間で人工知能を作ることが出来るようになります。なお、以下の方法を進めるにあたっては、プログラミング経験も数学の前提知識も不要ですのでご安心下さい。
・プログラムはPython一択
世の中には様々なプログラミング言語がありますが、人工知能を学ぶにはPythonが一番優れておりつい、これについてはほぼ異論がありません。
したがって、以下では主にPythonを習得方法を説明します。
Ⅰ Progate
とにかく最初にやるのはこのProgate一択です。とにかくわかりやすい。
これ以上わかりやすいサイトはほかにないと断言できます。
Pythonに関する講座は全部で5つあるのでサクッとこなしましょう。
おそらく一回では理解できないと思うので、理解できなかったところは飛ばして、まずは一旦最後まで終わらせましょう。
繰り返すうちに理解できるようになります。
Ⅱ Udemy
続いてはUdemyの講座のうち、キカガクが提供している下記の2つの講座です。
①【キカガク流】人工知能・機械学習 脱ブラックボックス講座ー初級編
②【キカガク流】人工知能・機械学習 脱ブラックボックス講座ー中級編
人工知能の理解に必要な数学から、Pythonのダウンロードの仕方までとにかく至れり尽くせりです。説明はとても丁寧なので、つまずくことなくすんなり理解できるはずです。スマホでも見れるので通勤時間での学習も可能です。
Ⅲ Aidemy
最後はAidemy。複数の講座があるので興味があるものから順に学習しましょう。
目的に応じた推奨コースが示されているので最初はこれに従えばいいと思います。
こちらも、途中でわかなないところは一旦飛ばして最後まで進み、何度も繰り返すようにしましょう。
以上で終了です。
これで簡単なプログラムであれば自力で作成できるだけの知識が身についてはずです。
私は2週間程度で上記講座を終えることが出来ましたが、忙しい方でも毎日2時間~3時間程度の時間をさければ、一か月かからず終えることが出来ると思いますので、ぜひ頑張ってトライしてみてください。
今後、需要があれば中級編・応用編についても書こうと思います。
追記:人工知能(AI)について勉強した方は下記のブログもご参照ください。
書評:知的生産の技術とセンス(堀正岳+まつもとあつし著)
知的生産の技術とセンス(堀正岳+まつもとあつし著)を読んでみて
知的生産の技術とセンス ~知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ情報活用術~ (マイナビ新書)
- 作者: 堀正岳,まつもとあつし,小長谷有紀
- 出版社/メーカー: マイナビ
- 発売日: 2014/09/25
- メディア: 新書
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<本書の記述で特に共感した内容>
・まずはとにかく情報をインプットし、自分が驚きを感じたことをとにかくEvernote等に記録する(世間の注目度は関係なく、あくまでも自分の感性を大事にする)
・収集した情報をとにかくアウトプットする
(現在は個々誰もがアウトプットすべき時代であると断言)
・情報は発信した人の元に集まるので、インプットとアウトプットは表裏一体
・注目を集めなくても、アウトプットはやめない
そういればホリエモンも近畿大学の卒業式で情報のインプット・アウトプットに関して同じようなことを言っていたような気がします。
上記の中でも特に意識すべきはアウトプットではないかと思います。というのもインプットを行っている人は一定数いるが、定期的にアウトプットを行っている人は非常に限られると思うからです。
本を読んで終わりにするのではなく、必ずこうしてブログにまとめる。人から聞いてなるほどと思った話を、そのままに自分の中に留めておくのではなく積極的に発する、こうしたことを意識的に行っていくよう心がけようと思いました。