終戦記念日に読みたい本・映画リスト

終戦記念日が近づいてきたの、それに合わせたお勧めの本・映画をいくつかご紹介いたします。

 

【本】

①昭和16年夏の敗戦(猪瀬直樹著)

昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)

昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)

 

 いわずと知れた名著。戦争を知る上では必読の一冊。

 

 

②失敗の本質ー日本軍の組織的研究ー

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

 

日本の組織的欠点を、戦争の戦術、戦略を通じて解説する良書。

下手なビジネス書を読むよりよっぽど有益。 

本書が難しいと感じる場合は、「超」入門失敗の本質をお勧めします。

 

 

【映画】

①日本の一番長い日

 戦争は始めるのはたやすく、終わらせるのは難しいとはよく言われるがそれを体現してくれる作品。私はこの作品を知るまでは、2発の原爆投下⇒ポツダム宣言受諾とすんなり決定したものと思っていたが、そこに至るまで壮絶なストーリーがあったことを教えてくれた。日本国民であれば必ず見るべき作品ではないだろうか。 

 

②トラトラトラ 

 日米共同制作。開戦前から真珠湾攻撃までを描いた作品。 開戦前の庶民の居酒屋で気軽に戦争を欲する庶民の会話が衝撃であった。本当にこんな雰囲気であったのだろうか。

 

連合艦隊総司令部 山本五十六 -太平洋戦争70

年目の真実- 

 70年目の真実というのは大げさなタイトルであるが、歴史を誇張なく忠実に再現しているように思う。真珠湾、ミッドウェーと作戦の目的が共有されておらず、それが失敗・敗戦につながっているさまが見事に描かれている。

 

 

以上ご参考まで。

 

人工知能(AI)を導入しようと思ったときに読むべき本

第三次人工知能ブームが到来し、官民問わず様々な組織が人工知能の導入を検討している昨今。しかし、いざ導入しようとしても何から始めてよいのか、そもそも人工知能は何が出来るのかなどなど前提となる予備知識が不足している人も少ないあろう。

そこで、そのような方々向けにお勧めの書籍を紹介します。

 

 

<対象者は下記のような方々>

①非エンジニアの方

人工知能の導入を検討しているので、それにあたって前程知識を身に着けたい

人工知能に何が出来て何が出来ないかをざっくりと整理したい

人工知能について専門用語を使わず平易な文書で書かれている本を探している

等など

 

クラウドからAIへ(小林雅一著)

 AIの進化の歴史が端的にまとめられている良書。従来のルールベースのAIでは数々の限界が生じ一時期終息したブームが、因果関係を無視し統計的推論を用いた新たな手法により息を吹き返したなど、AIがたどってきた歴史がわかりやすく整理されてる。AIを理解するにはまずはその歴史の把握が大事である。

 

②誤解だらけの人工知能田中潤松本健太郎著)

AIに関して流布している様々な誤解を紐解ききめ細かな解説がされている。

また、AIの今後の進化予測についても、年代別に整理されておりとてもわかりやすい。

ちなみにAIの今後については、誇張表現やいい加減な推論を述べた書籍が多い中、事実に基づき極めて丁寧に論証している数少ない(唯一??)の本。

これ一冊読めば、人工知能の導入にあたって必要最低限の知識は習得できる。

 

 

人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの(松尾豊著)

 人工知能の第一人者である松尾先生の著書であり、人工知能関連の書籍で最も売れている本。内容は人工知能の歴史やその仕組み、人工知能の今後についてなど非常にオーソドックス。人工知能の原理・仕組みについても一通り丁寧な説明がなされている。手元に必ず置いておきたい一冊。

 

 

おそらく以上3冊を読めば前提知識としては十分である。(もし三冊も読む時間がないという場合は上記②の「誤解だらけの人工知能」から手を付けることをお勧めする)ところで、世の中のAI関連本は嘘が公然と語られているものや、誇張表現だらけのものがありふれている。AI関連本は沢山出版されているが、本当に読むべき価値のあるものは非常に数少ないため、選書にあたってはこの点十分留意していただきたい。

 

 

 

番外:逆に(売れているが)全くおすすめしないもの

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

とにかく事実誤認や、一部の情報を隠して読者をミスリードする記述が目立つ。

AIについての嘘を見抜く訓練には有益であるが、それ以外の用途はないのではないだろうか。少なくともAIに関する前提知識のない人が、一冊目に読んでは絶対にダメな本。

 

 

 

追記人工知能(AI)のプログラムを勉強されたい方は下記の記事を是非ご参照ください。

haya192.hatenablog.com

 

 

野矢茂樹『はじめてかんがえるときのように』 感想・考察

 はじめて考えるときのようにを久しぶりに読み返してみたので、その感想・考察を書いてみました。

はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
 

 

1.私が思う考えるとは

私がこの本に初めて出合ったのは、10年近く前(当時大学生)である。当時の指導教官に「もっと自分の頭で考えろ。」と厳しく叱責され続けていた折、偶然この本に出合った。平易な文書で書かれているが内容は深く、以来私の愛読書となっている。

 まず、「考えること」についての筆者の考えにはおおむね同意できる。筆者は、考えることについて、問いを抱え込んだままアンテナを張り続ける、時には空っぽにすることが重要であると主張しているように思う(事実NHKラジオ番組で筆者はそのように発言していた)。自分なりにこの状態をかみ砕いて表現すれば、パソコンのスリープ状態が最もしっくりくる。パソコンは、一定期間起動しなければ、画面が暗くなるが、マウスを少し動かすと再び反応し画面にスイッチが入る、筆者が主張する考えている状態とのはこのような状態であろう。外山滋比古『思考の整理学』においては、考えることをビールづくりにおける酵素発酵に例えていた。問いをしばらく寝かせてほっておく。そうすると次第に考えが煮詰まってくると言うのだ。「見つめる鍋は煮え立たない」のことわざを引用し、思考する際は、積極的に時間を空けることを推奨している。

 繰り返しになるが、これらの考えにはおおむね同意できる。しかし、私は考えることについて次の行為を付け加えたい。それは勝ち抜き戦である。どういうことかというと、ある問いについて暫定的に最適解を自分の中で定める。(若しくはある事象について仮説を立てる。)時間を空けて最初に定めた解とは異なる解を設定し最初のものどちらがより確からしいかを戦わせる。そしてより説得力の強い解が生き残る。以下、この繰り返しの作業である。(勿論、この一連の過程においては筆者の主張するように問題そのものを問う作業を含まれる。)

私が思う考えるととは、筆者の主張に加え、頭の中で主張と主張が激しく戦い凌ぎを削る、そんな状態を思い起こすものである。

 

2.論理は考えないためにあるとの筆者の主張は本当か

 筆者は論理について、考えないためにあるとの大胆な主張を述べていたが、これは本当だろうか。確かに、論理を因果関係の論証(AならばB、BならばC、ゆえにAならばC)という風にとらえてば筆者の主張は正しいであろう。どんな論証でも因果関係をすべて記号に落とし込めれば、その後の作業は考えるとは言わないとの意見は的を得ているように思う。しかし、これは論理について一面しかとらえておらず、誤りであると主張せざるを得ない。論理に考えるとは筆者の言う因果関係の説明の他に、事象を漏れなく、ダブりなく分類するという作業が含まれる。俗に言うMECEのグルーピングである(横の作業との言い換えてもよい)。この作業は先の因果関係の説明のように簡単にはいかず、時には様々な試行錯誤が必要であると考える。私の大学時代の指導教官からも「ロジカルシンキングのうち、因果関係の説明は誰でもできる。しかし、分類はかなりの訓練が必要である」と言われた。筆者はロジカルシンキングのうちMECEの分類作業についてどのように考えているかは気になるところである。ちなみに著書「論理トレーニング」にもこの言及はない。もし、ロジカルシンキングについて「分類作業」の概念が抜け落ちているとしたら、大学教授としてあまりに片手落ちであろう。

 

3.考えることはいいことか

 この本を読むと、「考える」という行為は素晴らしいことであり、極力様々な事象について思考を凝らすべき、という考えに至らないだろうか。さすがにそれは言い過ぎかもしれないが、この本を読み終えた後「よし、今からいろんな事について考えよう」と思う人は少なくなさそうである。ここで、果たして考えることはそこまで必要であろうか?という疑問が私の中で生じた。筆者も先に引用した外山氏も大学教授であり、普段数多くの学生に接している事から、これらの著書は学問・研究をしている学生を主な対象として書かれているように思う。勿論、これらの方々は考えることが本文であるから、そうした作業が必要であることは言うまでもない。しかし、それが普遍的にあてはまるか?かと言われればそうでもなさそうである。以下では、考えることのデメリットについて考えたいと思う。

世の中の優れた実業家には、あれこれ思いついてことを片っ端から実行にうつしている人が少なくないように思う。私の大学の同級生で卒業後すぐに起業し、現在複数の会社を経営している人がいるが、とても色々考えているようには見えない(が成功を収めている)。場合によっては意図的でも思考を停止しバカになることを必要ではないだろうか。思考は動きを遅くし、しばしば行動の邪魔になることもあるように思う。私の例で恐縮であるが、初めてフルマラソン、ウルトラマラソンにエントリーしたときはあれこれ考えずに参加を決断した。考えるという行為に時間を割くと、次第に当初の熱意が逓減しそれがマイナスに作用することもありうる。

考えるという行為も、状況に応じて使い分けるべきであり、時には意図的にでも、それをやめることも重要であると考える。

松戸市役所 面接試験について振り返る

十年近く前に受けた松戸市役所の2次試験、最終試験について、今頃振り返ってみたいと思う。これから受験しようとする人は是非参考にしてみてください。 

(当時と試験内容変更になっている可能性があるので、募集要項で必ず確認してください)

 

 <2次試験>

 【作文・小論文】

テーマは「住民主体のまちづくりについて」だったかな?

印象に残ってないので覚えてないです・・・

文章を書くのが苦手な人は、参考書で対策をした方がいいでしょう。

 

 

【面接試験】

集団面接。5人一組のグループで行われました。

時間は約30分程度だったと思います。面接官は3名。

 

Q学生時代に取り組んだことと、そこから学んだこと。

 返答後、それに関連した質問あり。

 

Q入庁した後、やりたい仕事について

 

Q考え方が合わない人と仕事をする場合、どうするか?

 

Q併願状況について。

ここだけ面接官が熱心にメモを取っていました。

 

 以上が、二次試験の集団面接です。

面接はオーソドックスな内容なので、特段の対策は必要ないと感じます。

エントリーシートに沿った内容が多いので、事前によく確認してくことが必要です。

むしろ、エントリーシートをしっかり書かないとここで苦労しそうです。

(そうはいっても私も結構エントリーシートは適当に書いてしまったので、そういう人は次で挽回する気概をもって頑張ってください(笑)) 

 

 <最終試験>

 

個人面接。面接官は4人でした。一人ずつ順番に質問してく形式。

時間は20分程度。

 

 ・一人目:年配の優しそう女性

Q大学の専攻について。

Q卒業論文のテーマは何か?

Qなぜ、その学問を専攻したのか?

Q松戸市役所を志望した理由は?

返答については、適宜再質問あり。

 

・二人目:クールな男性

Q先日行われた市長選挙について説明してください

Q市長選の論点は何だったと思いますか

Q公務員は今後どうなると思うか?

 

・三人目:一番年配の男性

Q覚えてない・・・(苦笑)

 

・四人目:若い男性

Q自分の長所について

Q併願状況について

 

以上で終了です。

二次面接と比較して、かなり込み入った内容まで質問されました。

また、こちらの返答に対して適宜再質問がある場合が多かったです。

しかし、質問内容はいずれもオーソドックスなものばかりなため、

通常の準備をしていれば、返答に窮することはないでしょう。 

 

あと、これは聞いた話ですが某自治体(松戸市ではない)の採用試験では、受付の段階から受験生の態度をチェックしているとのことです。受付で横柄な態度をとると、その分評価に影響があるのでしょう。松戸市がそこまでチェックしているか否かは知る由もありません。ただ、そういう自治体がある以上は、試験当日、家を一歩出たら、その瞬間から試験は始まっていると考えたほうがいいかも知れませんね。

 

 

後日、合格発表があり無事に最終合格しました。

気が向いたら、官庁訪問(国家1種「当時」)についても書こうと思います。

 

 

公務員試験 現職人事が書いた「面接試験・官庁訪問」の本 2018年度

公務員試験 現職人事が書いた「面接試験・官庁訪問」の本 2018年度

 

 

 

 

 

マンガに教育的価値はあるか?

 

 マンガといってもその内容は千差万別であるが、ものによって十分に教育効果は見込めると考える。例えば、歴史について書かれているマンガである。これは、教科書等の文章を読むのに比べて頭に入りやすく、知識習得と言う意味において教育効果があるといってよい。他にも、少女マンガがある。これは、登場人物の心情変化が複雑に描かれている作品が多く、「国語」の勉強に一定程度寄与することもあると考える。以上のように、マンガも、利用法次第ではいくらでも教育的価値を見出すことは可能である。

 一方で、マンガを一般の書物と対比した時、留意しておくでき点がいくつかある。当然のことではあるが、マンガは一貫した文章になっておらず、独立した文の繋がりによって構成されている。このため、情報が断片的に散りばめられており、一つのストーリーとなっていない。これは物事を構造的に把握することを妨げる恐れがある。言い方を変えれば、木を見て森を見ずということになる危険性を孕んでいる。とはいえ、マンガは、特に幼少期の子どもにとってとっつきやすく面白いものである。そのため、用途、目的によってはマンガに教育価値を求めることは十分に可能であるのである。

 

外国語を学ぶ意義について

 外国語を学ぶ意義として真っ先に挙げられるのが、得られる情報の拡大という点にある。ある物事を調査する際、一つの言語しか知らなければ、調査媒体は当然その言語で書かれているものに限定されてしまう。もちろん、現在では自動翻訳ソフトと言うものがあるが、その精度については、はなはだ疑問が残るレベルである。文献を探す際、その本の翻訳版が出ているとは限らない。外国語を学ぶことによって、得られる情報が広がるのである。例えば、フリー百科事典として知られるウィキペディアにおいて、日本語版で探してもよい結果が得られなかったら、次に英語版で検索すると、よい結果が得られることがしばしばある。以上のように、外国語を学ぶことにより、情報収集をより有利に進めることが可能になるのである。特に世界的に最も普及している言語の一つとして「英語」があるが、この言語を知らないことは世界の情報の99%を捨てていると言っても過言ではない。
 外国語を学ぶ意義として他に、コミュニケーションをとることのできる対象が広がることである。その言語を介して多くの出会いをする機会が増える。異国人との交流により、文化の違いを知ることで自国を相対化してみることが可能になり、視野を広げることにもつながるのである。